★8月25日発売、TJ9月号で掲載した『Peace ピース』想田和弘監督のインタビューの完全版をアップ!誌面に載せきれなかった、想田監督のお話です。
作品の中の感覚や間を、情報ではなく体験として感じてほしい。
ナレーションやBGMを一切排し、台本もリサーチもない「観察映画」をとり続けている想田和弘。前作『精神』続き、再び岡山で撮影された『Peace ピース』が公開に。「観察映画」ならではのストイックな撮影姿勢や現場の様子など語ってくれた。
――ドキュメンタリーなのに、構えることもなく最後まで心地よさを感じながら観ることができました。
それは、この作品にメッセージ性がいからだと思います。ドキュメンタリーの仕事は、作家の視点で「世界はう見えているんだよ」と描くことだと思うんです。何かの主張のためにドキュメンタリーを作るということはしたくない。主張ではなく、「こんな体をしました」っていうのを映画的に再現して、観客に共有してもらいたいということを目指してます。それは、論に向かって直進するのではなく、散歩のようなものかも。または、目的のない旅。その旅の中で、美しい景色や興味深い景色が見て、観客がいろんな体験ができればいいと思います。
――台本やリサーチがない上で、どのように作品にしていくのですか?
リサーチも台本もないので、撮影をしながら気付きをしていきますね。あと、編集のときに何度も観る過程で、、このシーンはこういうことだったんだと気付くことが特に多い。撮影のときは、時間がなくて、ひとつのことか目がいかないんですけど、編集で何度もみているといろんなことに気付けますね。関係ないと思った映像が、ないでみると意味のあるシーンになったりすることも。例えば、僕の義父である柏木寿夫が40年前に養護学校建で地元に反対があったと話すシーンと、身体障害者の植月さんが「僕は足が悪いだから嫁が来ないんよ」と話すシーンは、障害者に対する社会意識を反映しています。撮っているときは関連性が分からなかったけど、集しているうちにでお互いの関係が実は相互に反響しあうものだとと気付きました。そうすると作品の道筋がつように、順番を考えて編集できるようになるんです。その気付きができたときは、すごくおもしろいですね。
――台本がない分、あとから映像を取りこぼしたと感じるときもあるのでは?
そう感じたことはあるけど、今まで再度撮りにいったことはないですね。やってもいいんでしょうけど、やり始ると永遠にやるんじゃないかと思います(笑)。ドキュメンタリーって、現実が被写体。現実ってずっと続いていわけじゃないですか。もっと長いスパンで捉えようと思ったらいくらでもできるから、作り手がどこかで区切らいと…。「ここまで」って思った瞬間を大事にして、今の自分のベストは何かって考えて撮影しています。そうると、撮れた映像にも縁を感じますね。人と会うのと一緒。それぞれの人生が交錯した限られた時間を悔いのなように生きるってことが本当に大事だと思う。ドキュメンタリーも一緒で、そのときしか撮れないんですよ。ドュメンタリーの場合は一回限りの、一過性のもの。その被写体との出会いのサイクルの中でしかできないんですね。今回、出演してくれた橋本至郎さんだって撮影が終わって1カ月半で亡くなられた。僕が岡山に来るのが遅ったら、橋本さんとは会えてなかったんですよ。すでに家も取り壊されてましたし。そう考えるとにこの世は、常ですよ。でも、無常の中のつかの間のひと時を切り取るのが、ドキュメンタリーなんですよね。
――その橋本さんが突然戦時中の話をされたのが印象的でした。
その話をされた瞬間は、僕もただただびっくりただけ。橋本さんの年齢を考えれば、当たり前のことだったんでけど想像してなかった。撮りながら鳥肌が立つ思いがしました。橋本さんって自分が亡くなることを言及すると、カメラをちらっと見てるんですよ。それは、観客はほとんど気付かない視線で、僕も編集中に気付いたくらい。について語るときは、カメラや僕の存在を強く意識してたんです。あくまで僕の解釈ですけど、橋本さんがあ話を突然し始めた理由は、誰に残すでもない遺言を残そうとしていたんじゃないかなと思います。
――今回は、「観察映画番外編」という位置づけですが、前作と違った点は?
今回は、作り方がかなり違っていました。まず韓国の「非武装地帯ドキュメンタリー映画祭」から「平和と共存という思っても観ないテーマをふられました。誰かから頼まれなかったら、こんなテーマではまず撮らない(笑)。平和がテーマなんです」って自分で言うのも口はばったいじゃないですか。まず自分から発案してやるものはないなと。そういう意味では、まったく開拓していない意識や脳の部位を使わされた気がします。テーマを与られたことで。そのせいもあってか、制作のプロセス全体が連れてかれたって感じですね。出会いが出会いを呼で、いろんな景色を見せられた感じがしましたね。でも、「平和と共存」のテーマもスタートであって、作品とては「観察映画」スタイルを貫けたと思います。
――「観察映画」を作る上で、大切にしていることは?
ドキュメンタリーは、作り手よりも被写体が大事。作り手がああしようこうしようと思うドキュメンタリーはおもしろくないんですよ。僕が「無作為作為」って呼んでいる手法があります。作品を作ること自体は作為なんだど、作為を発揮しないように偶然性を介入させることで優れたものをつくる作為です。偶然性を取り入れること、自分が考えている以上のものが生み出せる。それがドキュメンタリーのおもしろさですね。僕の場合はたいしアイデアを持っていないので(笑)、自分が考えていることを具現化するだけだったら、おもしろい作品はできなと思う。自分の限界を超えるような「装置」を借りないと優れた作品はできないと思います。自然のままに身をだねる感覚に近いかな。
――偶然に身をゆだねるのに勇気がいるのでは?
確かに毎回、どんな映画になるか分からないですからね。偶然におもしろくもなり、偶然につまらなくもなるわだから。普通なら先に台本か組むんだけどそれは安全策ですよね。でも、安全策からは大抵抜きんでた作品はでない。なぜなら、跳躍してないから。やっぱりやるなら跳躍した作品が作りたいです。大失敗する可能性もあるけ…、そのときは、作品を封印します(笑)。
――逆に、テーマに入りすぎてしまったときの抜け方はあるのですか?
観察しますね。テーマに引きずられて、撮影中にああしたいこう言わせたいって思っちゃうことを僕は「雑念」て呼んでいます。これが出てくると、よろしくないですね。引っこめようとすると余計意識しちゃうので、目のの現実をよく観察しようとしまう。すると、不思議なことにすっとその「雑念」が消えていくんです。僕の意識「現在」「今」に降りてくる。「ああしたい」の未来や、「あの撮影しくじった」という過去が消えていくんです。すがすがしいですよ、そのときは。つもできるかっていうとそうでもないですけどね。でも、「雑念」に支配されると、だいたい失敗します。
――撮影そのものが、とてもストイックで「禅」みたいですね。
ほんとそうですね。スポーツにも似ているんですよ。どうやって意識を集中させていくかが勝負。走る前にどうって、準備していくのかと考えるのと一緒です。
――でも、スポーツと比べて、「観察映画」には明確な到達点(=テーマ)がないので難しいのでは?
僕の場合、観察しようって思うこと自体が到達点。よく見よううよく聞こうってだけで、それ以外いらないなっ思う。できたものはどうなるか分からないんです。あくまでも、作品は結果。過程の積み重ねが結果になるのに世の中あべこべののものが多いですね。目的や目標が「今」の奴隷になってしまう。「今」を大事にした結果、終的に到達したことを見届ければいいと思います。
――作品ではその過程も感じられると。
作品ができる過程というよりも、やり「体験」を共有したいですね。例えば、橋本さんが戦争体験の話を急に始めるのと、事前に打ち合わせをしていて話すのは全然違う。事前に打ち合わせしたものは、情報としてしか伝らない。けれど、そのとき橋本さんが突然話し始めた感覚や間は体験として感じられると思います。
――そうなると「観察映画」の撮り方ってとても刺激的ですね。
そうですね、僕にとっては。やろうと思えば、いろんな撮り方もできるんですけど、個人的にそれにどきどきしいんです。先が読めちゃう感じとでも言うのかな。あと、自分のために作っている部分もある。自分が楽しいとじるものじゃないと、観てくれる人も楽しくないと思います。それは大前提。まず、自分がおもしろがれないとにおもしろがってもらえないというのが必要条件ですね。
――与えられたテーマではありましたが、「平和」について撮影中感じたことは?
僕はこれまで平和って社会的な問題って思ってたんですけど、重要なのは心の平和だなって思いました。特に橋本さんの暮らしって、独り暮らしで死を目の前にして、身寄りもお金もなくとても厳しい状況じゃないですかでも、橋本さんには心の平和があって、穏やかさを感じました。いわゆるお金やもののある外面的な状況と心の和は直結はしていないなと。
――作品に、「平和」という言葉が使われていないにもかかわらず、「平和」というメッセージが伝わってきたの不思議でした。「平和」とは、そううたわずとも、作品に登場してきた人々のように生きることがそのものなのなと。
おもしろい見方ですね。作品にも登場した柏木廣子、僕の義母は、鑑賞後物足りなさそうでした(笑)。もともと女は戦う人というか、社会に対する問題提起が好きな活動家みたいな人なんで…。その彼女が、ついこの間ふっと気いたらしく、この作品は川柳じゃなくて俳句なんだなって。『精神』や『選挙』はある事象や現象など限られたのを描く川柳で、『Peace ピース』は、宇宙とか自然とか生き物とかもっと大きな世界を取りこんだ俳句じゃなかと。そんな感想を聞いて、「うまいこというなー、もらい!」って思いました(笑)。
――『精神』に引き続き、再び岡山で撮影&上映ですが、今のお気持ちは?
岡山のご当地映画なんでぜひ観ていただきたいですね。この映画は、「平和や共存」について自分の身近な世界らヒントを得るという試みをしています。岡山の人にとっては、見慣れた風景から考えられると思うので、まず番観てもらいたい人たちです。
【プロフィール】
『Peace ピース』監督・製作・撮影・編集
想田和弘
1970年、栃木県生まれ。93年よりアメリカ・ニューヨーク在住。NHKなどのドキュメンタリー番組を40本以上手掛けたあと、台本やナレーション、BGMを排した「観察映画」と呼ぶドキュメンタリー手法を提唱・実践。『選挙』(07)、『精神』(08)は、各国の映画祭で受賞多数。現在、平田オリザと彼が主宰する青年団を撮った『演劇(仮)』を編集中。
7月23日よりシネマ・クレール丸の内で上映中。(C)2010 Laboratory X, Inc.
映画『Peace ピース』公式HP
『なぜ僕はドキュメンタリーを撮るのか』
(講談社現代新書/798円/発売中)
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/
『Peace ピース』製作の経緯やその裏側、そして、「観察映画」に対する想田監督自身の映画論が記された書籍が現在発売中